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新潟の大地とそこに生きる人々を描く~「佐藤哲三展」を見る

新潟の大地とそこに生きる人々を描く~「佐藤哲三展」を見る_a0023387_2238496.jpg佐藤哲三(1910-1954)の名前とその作品は、以前から僕には親しいものだった。それは僕の敬愛する美術評論家で画商でもあった故・洲之内徹がその『気まぐれ美術館』(新潮社刊)でとりあげ、その作品の暖かい解説をしてくれていたからでもあるし、1997年に目黒区立美術館で開かれた洲之内徹お気に入りの作品ばかりを集めた「気まぐれ美術館」展で実際にその作品をいくつか見ていたからでもある。とは言っても、今回の没後50年を記念した東京における初めての大規模回顧展で、今日(11月5日)ようやく彼の全貌に触れることができた。

佐藤は、新潟県長岡市に生れ、後に新発田市に移り住み生涯そこを離れることがなかった。引用した2枚の絵は、彼の名前を一躍有名にした「赤帽平山氏」(1930年)[下の絵]と遂に未完に終わった最晩年の作品「帰路」(1954年)[上の絵]だ。この2枚の作品で彼を代表させることは無謀な試みであることを承知の上で、それでも彼の生涯のテーマが、「故郷の大地」とそこに生きる「働く人」であったと言ってもまちがっていないのではないだろうか。新潟の大地とそこに生きる人々を描く~「佐藤哲三展」を見る_a0023387_22381747.jpg

この展覧会を最後まで見て、彼が愛した画家がゴッホとケーテ・コルヴィッツだったというのはいかにも納得できることだと思った。農民とその生活を描く場合に特にケーテ・コルヴィッツの影響が強いことは認めなければならないだろうが、風景画においては晩年において(といっても亡くなったは44歳だ、早過ぎる)遂に独自の世界を作り上げることに成功していると僕には思われた。

その風景画は、新潟の蒲原平野を描いたものだと解説にあるが、その風景を毎日毎日眺め、雪も雨も太陽も雲も何度も何度も写生し、とうとう自らの心の心象風景となったように思われる。20代で書いた風景がゴッホ風の明るい陽射しあふれる絵であるのに、30代・40代で描いた風景画はどんどん暗さをまして、ほとんどそれが風景であることをやめて一種の抽象画にまで変貌していく様を見ることは一人の画家の内面の劇を見るようだった。

この展覧会、東京駅にある東京ステーションギャラリーで11月7日(日)まで。その後、来年1月29日~3月21日まで神奈川県立近代美術館 鎌倉に巡回。
by espritlibre | 2004-11-05 22:27 | 美術
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