谷上廣南は、1879年(明治12年)生まれ、1928年(昭和3年)大阪で没した、染織図案家、現代語でいうなら染織デザイナーだった。1925年(大正14年)大阪図案家協会の設立時に発起人の一人として加わったこと、繊維商社・伊藤萬商店が扱う染織品の図案を描いたこと、については当時の文献資料で確かめた。
晩年、といっても30歳代の終わりから40歳代の終わりにかけて、二つの多色木版による植物図譜を世に送った。
一つは、『西洋草花図譜(せいようくさばなずふ)』。春之部 1,2, 夏之部 1,2, 秋之部、全5冊・全125図 、芸艸堂(うんそうどう)、京都、1917年(大正6年)刊。
もう一つは、『象形花卉帖(しょうけいかきちょう)』。 第1巻 見開き12図 1923年(大正12年)、第2巻 見開き12図 1926年(大正15年)、 第3巻 見開き10図 1939年(昭和4年)、 芸艸堂・刊。 第3巻は没後、出版されたことになる。
谷上がどこで生まれ、どのような教育を受け、なぜ図案家を志し、どのような図案を描き、なぜ49歳という比較的若い年齢で没したのか等々、つまり彼の伝記、は知られていない。もし、谷上がこの二種類の図譜を残すことがなかったら、他の多くの同時代の図案家同様、今ではその名前すら完全に忘れ去られてしまっているだろう。
だからといって、その残された二つの図譜が世に広く知られているというわけでもない。ごく一部の好事家に知られる以外には、日本美術史にも植物学史にも取り上げられることがないのは、近代に描かれた他の大方の動植物図譜と運命を共にしている[注]。それらは、画家の手遊びか、よくても工芸資料であって、美術でもなければ、科学でもない、というわけだ。
思いもよらぬことに、谷上の二つの図譜のうち、『西洋草花図譜』の複製印刷本が、少し前(2008年)に、米国で出版された。(下・写真)
Japanese Woodblock Flower Prints, by Tanigami Konan , Dover Publication,New York, 2008. $16.95(アマゾンで今は1500円ほど)。
版元のドーヴァー社は、自然科学から美術まで幅広い分野の書籍を廉価の紙装版で出版しているニュー・ヨークの老舗出版社。西洋美術好きならダ・ヴィンチのノートブックやら、デューラー、ブレイク、ドレなどの版画集やらでおなじみだろう。ただ、この本は、ドーヴァー社には珍しく、アート紙に鮮明なフル・カラー印刷。ジャパニーズデザイン関連本もいくつも出しているこの出版社が、購入者に様々な分野のデザイナーを想定した「デザイン・ソース」としてこの本を位置づけているのは確かなように思われるが、少なくともタイトルには「ファイン・アート」と銘打って、この本を芸術絵画に分類している。
その本の中身だが、元版の図は縮小され、全125図が120図に減らされ、図の枠外の植物名を表記した日本語をは削られ、木版だったものがアート紙にカラー印刷となって幾分鮮やかで明るすぎる色調になってしまっているのは、複製画集の宿命として甘受するべきものなのかもしれない。
ただ、編集者(記名なし)が、この書の日本語題名を「西洋くさばな図譜」であるべきところを「西洋そうか図譜」と呼び、谷上を版画家と勘違いし、また、現代日本でも有名なアーティストである、と書くのはあまりに杜撰な調査・表現だと言わねばならない。
この画集が様々な改変を受け、また、満足できない点をいくつかもっているとしても、それでも僕は、彼らが外国の芸術に対する敬意をもってできるだけ忠実にその複製をつくる努力をしている点を高く評価するべきだと思う。この稀覯本の複製が、これほど廉価で手軽に入手できるようになったことは喜ぶべきことだ。僕はこの本を人に薦めるのに躊躇しない。
この米国での出版に刺激を受けたかのように、翌2009年には、日本でも、その複製印刷本が出た。(右・写真)
『四季の花々ー洋の花』(芸艸堂 2009年刊 2500円)
出版社は1917年の元版の出版社でもある芸艸堂。本家本元。もちろん、こちらも図を縮小、全125図のうち123図を収めるカラー印刷本だ。
ところが、だ。ああ、なんとしたことだろう。元の図は縮小されているのはやむを得ないとしても、驚くべきは、まったく任意にトリミングされ、図はのびやかな均衡を失ってしまっている。また、元版の色とは似ても似つかぬ色に変わってしまっているばかりか、微妙なグラデーションはことごとく塗りつぶされてしまっているのだ。しばしば1ページに2枚の図が押し込められ、また、図の順番も元の図譜のそれを無視している。そもそも題名までもが変えられてしまっている。(ここに、書いた欠点はドーヴァー社版にはないか、少なくとも芸艸堂よりはるかに軽微だ。)
つまり、芸艸堂版は、元の版とはもう似ても似つかない全くの別物と化している。ここには、美しさもなければ、人を感動させるものもない。これに著者「谷上廣南」の名を冠して売るのは、著者の名誉を傷つける何ものでもない。そのうえ、これはそもそもかつて自社で出版した著作物なのだ。社の先人へ敬意を払うこともなく、また、もちろん、こんな本を買わされる読者に対する責任感を持ち合わせているなどとは到底思えない出版物に成り果てている。
つまり、ここに、奇妙な逆転が起きているのだ。谷上は、日本ではほとんど知られることがないが、米国では少なからぬ愛好家が存在する。米国アマゾンでのカスタマーレビュー5件を読むとみな一様にその図を賛美するのに熱烈なのだ。谷上を知るには、外国人と外国の出版物に頼らなければならない、という奇妙な逆転が起きているのだ。
外国人が認めて初めてその真価が理解されるようになった日本の芸術家は枚挙に暇がない。谷上廣南もまた、その一人として美術史の悲しむべきエピソードに登場する日がくるのかもしれない。
注