ときどき、知らない町を歩きたくなる。と言っても、あまり遠い所までは行きたくない。日帰りで行ってこれるような所なら、時間も費用もたいしてかからない。
僕は東京の北の方に住んでいるから、足は自ずと北関東に向かう。北千住から東武線、日暮里から京成線、この二つの路線に乗ることが多い。ときにはJRのこともあるし、つくばエクスプレスや舎人ライナーも終点まで乗ったことがある。
群馬、栃木、茨城、埼玉、千葉あたりの古くから続く町を、半日くらいかけて、ゆっくり歩く。それらの町は観光地としてはやや魅力が足りないと思われもしようが、東京からは失われてしまった江戸や明治・大正・昭和初期の建物や風物・伝統が、今なお現役で生きていることがあって、それらを見るのは感動的ですらある。
大消費都市、江戸・東京の近くでどうやって自分たちの生きる道を見つけるか、は北関東の町や村にとっての大きな課題であったように思われる。まず第一は農作物の供給だっただろう。しかし、養蚕による絹織物業、大豆による味噌・醤油などの食品製造業、材木を切りだしての製材業、良質の土を活かしての陶器の生産、雛人形・五月人形・だるまの製作等々、衣食住あらゆる分野にかかわる様々な産業を通して、それぞれの町が個性を発揮して発展してきたのであり、たいていは江戸時代から今も続くそれらの跡を見ることは、新鮮な発見にみちた旅にもなる。
大震災から2ヶ月ほどたった5月半ば、家にじっとしているのにも嫌気がさして、天気のいいのも幸い日帰り散歩に出かけることにした。今回の行先は、栃木市。学生時代に、川べりに蔵の並ぶ風景写真を見て以来ずっと気になっていた町だ。北千住で東武日光線に乗って「しんとちぎ」で降り、そこから日光例幣使街道を歩いて南下、「とちぎ」から帰る予定を立てておいた。滞在時間は5時間くらい。そこで思わぬ発見があったのだが、それを語る前に、まずは栃木市内の「名所」案内を、おおむね北から南へ、歩いた順に。
正面にかかる暖簾には、「創業天明元年(1781年) 油屋傅兵衛 味噌・田楽」とある。通称・油伝(あぶでん)。最初、油屋として創業、のちに味噌の製造を始め、今も続く。このあたり(嘉右衛門町)には他にも味噌蔵がいくつかある。
油伝商店の中。
上の写真の内部。ここで、味噌田楽と焼餅を食べた。メニューはそれしかない。悩まなくてよい。
栃木市の中心部。この建物は、この町出身の作家・山本有三の記念館になっている。江戸末期の見世蔵を改修したという。山本有三の「路傍の石」は小学生の時に読んだ覚えがあるが、その愛用品や自筆原稿には関心なく、素通り。
流れる川は「巴波川」、「うずまがわ」と読む。難読度は最高ランク。ここが僕が学生時代に見た風景写真の場所だった。
左の延々と続く屋敷は、塚田家、今は、塚田歴史伝説館。塚田家は弘化年間(1840年代)から木材回漕問屋を営む豪商、巴波川から利根川を経由して江戸深川の木場まで筏に組んで材木を運んだという。
この塚田歴史伝説館には入った。屋敷内部の蔵の立ち並ぶ風景は、江戸時代さながら。人気テレビドラマ「仁」の撮影があったばかりだと言って、受付の人が写真を見せてくれた。
巴波川を巡る遊覧船の船頭さん。たくみな話術で笑わせ、歴史を語り、最後は船頭歌まで歌ってくれた。
前に流れる川は、同じく巴波川。建物は、横山郷土館。横山家は、麻問屋と銀行を営む明治の豪商。時間遅く、すでに閉館。
200年ほど前に建てられた栃木市最古の蔵の一つという。現在は、とちぎ蔵の街美術館。月曜休館のため入れず。
旧・栃木町役場、現・栃木市役所別館。大正10年(1921)竣工。設計は、町役場の技師として活躍した堀井寅吉。水色がさわやかで役場の固いイメージを和らげている。今なお、現役なのが、すごい。
町の大通りに面した床屋。アール・デコ風。この町には、蔵だけでなく近代洋風建築もかなりの数が残っている。
片岡写真館。創業は明治2年とある。建物はかつての栃木警察署を模したものらしい。
東京の中にいては、東京のことがよく見えないのではないか。
他の地域を圧倒する人口をかかえ、富と権力が集中し、あらゆる文化を楽しむことができ、あらゆる商品とサービスがカネさえあれば容易に手に入る所では、きたいないモノ、危険なモノは遠く、見えない所に追いやられる。原発の事故が起きるまでは、僕は日々消費する電気がどこから来ているのか気にも留めなかった。日本に50基以上もの原発が存在していることも知らなかった。まさに傍若無人、自らの繁栄と安全のみを求めて、遠く離れた過疎地にカネの力で危険を押し付けて平然としていた(いる)わけだ。
あとで取り消したとはいえ、大震災を「天罰」だと発言した作家も兼ねるらしい人物が知事を務め、被災者を愚弄する発言をした後にも、再選されてしまうような都市に住んでいることを大して気にもしていない。
拡大する経済力を盾にわが国を含む近隣諸国と軋轢を起こし続ける大国に苦々しい思いをしても、それと同じようなことを、東京はその周辺地域に引き起こしていることには気づきもしない。自らの欲望に取り憑かれて周りを見る余裕もない。他人のことを言っているのではない、それは、僕自身の自画像だ。