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ハネケ『ピアニスト』~自己恢復それとも自己喪失?(2)

『ピアニスト』は「母と娘」、「男と女」の物語に付き添うように第3の物語、ピアノ教師エリカと女子学生アンナ(とその母)の関係を物語る。アンナ母娘の関係は、娘のそばを片時も離れぬ教育熱心な母とそれに押し潰されそうになっている娘、というエリカ母娘の関係をそっくりそのままコピーしたものだ。

エリカの母がエリカに、才能のありそうな子はいるかね、と聞いたときに、エリカがシューベルトならそれなりの子がいるとアンナのことを思い浮かべながら答えると、シューベルトはあなたのもの、他人に渡しちゃダメよ、などと不吉なことを言う。
アンナがシューベルト歌曲のピアノ伴奏をすることになったとき、エリカはアンナのコートのポケットに割ったグラスの破片を入れて手に大怪我をさせ、アンナのピアニストとしての生命を奪おうとする。これは、エリカの母の言いつけを守ったわけでも、アンナの才能に嫉妬したわけでもまったくない。アンナをもう一人のエリカにしたくない、というような「善意」でもない。母に支配された人生を送らねばならない自己嫌悪を自分とそっくりの他者に向けたすぎない。この破壊衝動が本当の対象である自己に向かうのに時間はかからないだろう。

そのアンナがするはずのピアノ演奏は、エリカが代わって引き受ける。その日彼女は演奏会場に現れるはずのワルターを刺すつもりで台所からたナイフを持ち出す。会場ホールで他の生徒たちと談笑するワルターを眺め、皆が客席に入ってしまって彼女一人になったとき、どうしたことか、突然、彼女は自分の胸にそれを刺す。慣れていないとなかなか心臓まで突き刺すのは難しいのだろう、コートから滲む血を見るや、決然とその会場を出て、歩いどこかに去っていくシーンで映画は終わる。

エリカがワルターと初めて出会ったときに交わす会話。
  エリカ:アドルノの書いたシューマンの「幻想小曲集」論を(読んだ)?
      精神疾患直前の晩年のシューマンについて論じてる
      発作直前の自らの狂気を悟り
      最後の一瞬 正気にしがみつく
      それこそ完全な狂気に至る直前の
      自己喪失を意味する
ワルター:見事な教授法です
      まるですべてをご存知かのようだ
      違いますか
  エリカ:シューベルトとシューマンなら
      それに私の父は精神疾患で入院してるの
      精神の「たそがれ」は身近な問題
      違う?

はたして、エリカは自らをナイフで刺すという小さな死を通して、自己恢復の道を歩みだしたのだろうか、それとも「それこそ完全な狂気に至る直前の自己喪失」に陥ったのだろうか。僕は、この映画がなによりまして、性と狂気の暗闇に広がる人間存在の不条理を描き出したもののように思えた。

[この項続く]
by espritlibre | 2006-08-03 14:34 | L ハネケ
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