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働き、学ぶ、高校生が詠む「生きていくための短歌」

「不登校や厳しい労働との両立、阪神大震災での親の死。多くの困難を抱え、定時制高校にたどり着いた生徒たち」が国語の時間に先生の指導を受けながら短歌を作る。およそ25年にわたって作られてきた短歌を集めた南悟著『生きていくための短歌』(岩波ジュニア新書 2009年11月刊)を読んだ。(冒頭「」内のみ10年2月19日付朝日新聞「ひと」欄からの引用。僕はその記事によってこの本を知った。)

「苦労の多い人生を生きる生徒たちが」「仕事の充実感や達成感、生きることの辛さや喜び、家族や友だちを無くした悲しみなど」を「ある時は作業服のまま、油まみれに手に鉛筆を握り、指折りしながら」作った、という短歌の一つひとつを、著者が書くその短歌の生まれた背景とともに読んで、僕は何度も何度も涙を拭った。表現するという行為によって厳しい現実を見つめ、それをなんとか乗り越えようとしている高校生たちの姿に涙が止まらなくなった。ほんのいくつかではあるけれど彼らの短歌をここで紹介したい。

授業中、誰彼なしに話しかけしゃべり続ける困り者の生徒の職場を、著者は初めて訪ねて、彼にとって学校での同世代の仲間との交わりがどれほど貴重なのかを知る。経営者の社長でもある職人とのたった二人だけの鉄工所。 《工場の昼なお暗い片隅で一人で向き合うフライス盤》。
また、別の生徒。《朝早く現場に出ては疲れ果て指落としたり爪はがしたり》。電動ノコギリの作業中に右手小指の先端を切り落としてしまったという。彼らを取り巻く労働環境の厳しさ、劣悪さ。

定時制高校生の多くは、自分が仕事をしていることを恥ずかしがり、隠すようにさえしている、それは全日制の高校に行けなかった悔しさを抱えて、自分に自信が持てないからだ、と著者はいう。《定時制ただそれだけで差別する競争原理の現代社会》。それでも《夏休み返上取り組み製図検定夜間唯一百点合格》という生徒も生まれてくる。

彼らには苦労を支えるともに学ぶ仲間がいる。《定時制自分の感性育てられ勉強苦手も馬鹿にはされない》。また、《定時制苦しみ悩んで辞めようと思ったときの友の励まし》。また、《疲れ果て闇の中へと去るわれをクラス仲間は励まし続けし》。

とりわけ印象に残ったは、短歌ならざる短歌、いまだ短歌になっていない言葉の群れとでもいうべきものだった。
F君は知的障害があって他人とコミュニケーションをとるのが難しい生徒だという。仕事には就けないが級友と同じ格好がしたくてお母さんに無理を言ってニッカボッカで登校している。その彼が1年生の秋に作った歌。
《ぼくはらくなとかんがえることしかかんがえていませんまほの力でつけるんをよく神様ゆうこときく》
この歌の意味を思案しかねていた著者にかわって、五、六人の生徒がF君から内容を聞きだした。「そうして引き出された歌の意味は、僕は皆のように仕事をしていないから楽な生活をしている。魔法の力で運を強くして、神様の言うことを聞いてがんばる、というものです。昼間の厳しい労働を終えて、夜、定時制高校で学ぶ級友たちの姿に、彼なりに刺激を受けたのでしょう。」と著者は言う。
31文字を希求しながら、いまだ混沌とした言葉以前の状態にあるこの「歌」からは自らの置かれた状況への悔しさと未来への希望がひたひたと伝わってくる。

もう一つ、同じ著者の『定時制高校 青春の歌』(岩波ブックレット 1994年刊)から。
《こしで力入れるスコップで土ほるしんどい水どうこうじ》。この歌を作ったS君は朝から夕方までの現場作業をこなし、電車で1時間半かけて、毎日休まず黙々と授業に出てくるけれど、口数少なく、話しかけると尻込みするような生徒で文章を書くのが苦手だという。その彼が長い沈黙のあとに作ったのは
《スコップツルハシであなほて水どうかんをうめこむしんどいしごとでがんばる》
というもので、それを推敲してようやくできたのがはじめに紹介した歌だった。
最初にできた歌はもちろん推敲後の歌も31文字にはうまくおさまっていないけれど、素朴な表現からは、かえって、彼の光る汗や肉体の痛みが伝わってくると僕は思う。

最後に、『生きていくための短歌』には、生徒たちに短歌を作らせるきっかけとなった一人の生徒の作文が紹介されている。p.43。僕はそれをぜひ読者にも読んでほしいと思い、ここに写そうとしたが、メガネが曇って、とうていこれ以上キーを打つことができない。”昼間働き、夜学び、ポエムも作る”高校生を珍しがってフランスのテレビ局まで取材に来たらしいが、そんな要約が想像させるユートピア物語からははるかに遠い現実と、それに立ち向かう若者の苦闘が表現されたその作文は、文章として読むに値する。
by espritlibre | 2010-03-01 21:45 | 読書
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